あなたは「普通」に生活をしていることに、どのくらいの価値を見出しているでしょうか?

ここでいう価値とは、「ありがたさ」「大切さ」のようなニュアンスです。
私は、様々な理由で「普通」に生活することが難しい子どもたちと関わってきました。
そして、そこに与えられる価値がとてつもなく大きいことに気付かされました。
今日は、「普通」に生活することの価値について考えるきっかけにしてもらえると嬉しいです。
「普通」に生活するとは?
そもそも「普通」に生活するとは一体どのような生活を想像しますか?
それらは、家庭環境や収入、考え方等で大きく異なると思いますが、きっとそこまで普段イメージする人は少ないでしょう。
自分が「普通」の生活をしているかそうでないかまで考えないですよね。私も当時はそこまで考えませんでした。
しかし、あえて「普通」を考えた時に私はこう答えます。
- 朝起きて朝食をとる。
- 学校や仕事に行って仲間や同僚と過ごす。
- 家に帰ってきて好きなことをして寝る。
- 友だちと遊ぶ。 etc
つまりは自分の意思を持って行動しているかどうかです。
「やらされてることばっかだよー。」
「別にしたくてやっているわけじゃない。」
などの声が聞こえそうですが、結局は自分で選択してできた環境ですので、そこは受け入れましょう!
変えられないこともたくさんありますが・・。
価値を見出す瞬間
「普通」に生活する中で価値を感じる瞬間はほとんどなく、想像するにイベント(旅行や誕生日のお祝いなど)などがない限りはあまり考えたり、感じたりはしないのではないでしょうか。
そして、いつも過ごしていた生活が脅かされるようなマイナスに捉えられるような出来事(病気や引越し、離婚等の家庭環境の変化など)が起こった時に、やっとそれまでの生活の価値を理解できるのです。
それは、大人も子どもも一緒だと思います。
しかし、私はそのようなイベントがなくても「普通」に生活する中で価値を見出すことができれば、より多くの学びや幅広い捉え方ができるようになるのではと・・。
だからこそ、「普通」の生活の一部である学校で、価値を見出すことのできるきっかけづくりをしてきたいと考えています。
つまりは、先ほど述べた「自分の意思を持って行動できているか」です。
これをもっと簡潔にいうと、自己選択・自己決定をしてるかどうかです。
ここを常に意識をして子どもたちと関わっている毎日です。
まとめ
「普通」とは・・・
自分の意思を持って行動しているか
そして、「普通」の一部である学校生活で
価値を見出すことのできるきっかけづくりをしてきたい
なぜなら、子どもたちがより多くの学びを得、幅広い捉え方をできるようになってほしいから。
なぜ、価値を見出すことでこのような変化が生まれるのか。
「無意識」の「意識化」にも通ずる話かなと考えています。ぜひそちらも読んでみてください。
「普通」に生活することの価値について、ぜひ考えるきっかけにしてもらえると嬉しいです。


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