私が、「宿題」と出会ったのは今から約30年前・・・。え?あれ?30年前!?

ふぅ・・・・。はるか昔のように感じます笑
何も疑問をもたず、考えることもせず、「宿題」に抵抗感を抱きつつも、とりあえず言われたからやっていました。
気づけばそこから12年間もの長い時間「宿題」に囚われ続けてきました。
「宿題」を出す側になってからやっと目的や必要性について考えるようになり、子どもたちと関わっていく中で、自分なりに答えみたいなものが見えてきました。
そこを踏まえて、現在私は基本的には「宿題」を全く出していません。基本的には、です。
私なりの「宿題」の考え方について共有していけたらと思います。
宿題の意味
しゅく‐だい【宿題】
1家庭でやってくるべきものとして教師が児童・生徒に課する、学習上の課題。「夏休みの宿題」
2解決が後日に持ち越された課題。コトバンク(デジタル大辞泉)より引用
まさにそうですね。教員が、子どもたちに課すものというのが、だよなぁと思います。
特に説明もなく、明日までにここをやってくるようにと言われ、まぁ復習だもんな程度にしか考えずにそのまま家に持ち帰り、文句を言いながら解く・・・。なんだか懐かしいです。
宿題を嬉々としてやっている人を見た事がないですが、周りにそんな人たちいた記憶のある方はいますでしょうか?笑
そもそも人はなぜ勉強をする?
ここで一つ疑問を抱きませんか?
なぜ人は勉強をするのでしょうか?
- 将来困らないため。
- 頭を良くするため。
- お金を稼ぐため。
- 受験するため。
- なんとなくやらされている。
- 周りがやっているから。 etc
たくさんの理由があるかと思いますが、私はもっと根底のところにあると考えています。
それがこちら!!!
知識欲を満たすため!

どうでしょう皆さん。
人は生まれながらにして、知りたいという知識欲を満たすために色々な本を読み、調べ、直接見たり触ったりして学んでいくのではないでしょうか。
勉強も「学ぶ」ことと同じで、やはり自分が知りたいと思うことを追求していく事が重要なのではないでしょうか。
ちなみに「学ぶ」とは・・
勉強したことや経験したことを自分のものとして身につけること
と私なりに解釈しています。
「宿題」の扱い方
勉強することは知識欲を満たすことを前提にしたときに、やはり「宿題」は、大人がだすものではないと考えています。
子どもたちが欲してきたときにだけ渡すようにしています。なぜなら、そこは能動的な行動だからです。
「やらせる」ということは、主体が大人になってしまうため、子どもたちにとっては受動的なものになってしまいます。多少の知識はつくものの、やはり効果としては薄くなってしまいますし、何より勉強することを嫌ってしまう可能性が非常に高いです。
授業もそうですが、させることでの弊害は冗談にならないほどに大きいと思います。以前勤めていた院内学校では特にそういった子たちを見てきました。
本来、勉強することは非常に楽しく、ワクワクするものなのにそれに苦しめられ、心も体も壊してしまう子どもたちが数多くいるのです。
それほどに大きなことという認識を持つことが非常に重要だと思います。
よって私は以下のようにしています。
・基本的には、こちらからは「宿題」を出さない。
・子どもたちがほしいといったときにだけ「宿題」を渡す。
・もしこちらから「宿題」を出したい場合は、理由や目的などを説明した上で子どもたちに選択してもらう。
まとめ
基本的には、「宿題」は必要ないもの。
しかし、子どもからほしいと言ってきた時は子ども主体なため、内容を相談してから渡す(子どもの理解と納得があった時のみ)。
子どもから知りたい!やりたい!が出るような関わりや授業を意識している日々生活する。
正直、賛否両論あるかと思いますが、何より「子どもがどうしたいか」を確認する必要があるかなと思います。
大体、何かをさせたときは、こそっと文句言っている事が多いです笑
それでも特に周りに悟られずに過ごしている小学生たちはある意味、大人より大人かもしれませんね。
「宿題」について皆さんはどう考えますか?ぜひ考えるきっかけになったら嬉しいです。


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