子どもが選べなくなった理由

教育

今まで幾つかの小学校や特別支援学校を渡り歩き、たくさんの子どもたちと関わってきました。

子どもたちは、当然一人ひとり異なる背景を持ち、それぞれの人生を歩んでいます。

そんな子どもたちとの関わりの中で、多くの割合で、同じような言葉を子どもたちが使っていることに気づきました。

それがこちらです。

  • 「なんでもいい。」
  • 「選ぶのめんどくさい。」
  • 「先生が選んで。」
  • 「選べない。」

です。

以前『自己決定』の重要性についてまとめた記事を上げました。

『自己決定』の中で『自己選択』という言葉が出てきました。

これは、「自分で選択肢を持つ」ということですが、これを苦手とする子どもたちがたくさんいます。

では、なぜ苦手な子が多いのか、そしてどのような二次的な問題につながっていくのか、考えを共有したいと思いますので、ぜひ子どものことについて考えるきっかけや考えの足しにしてもらえると嬉しいです。

選ぶのが苦手な理由

なぜ選ぶのが苦手な子どもたちが多いのか。それは、

『自分で選ぶ・決定する体験が少ないから』

です。

大袈裟に言ってしまうと、周りからの指示や命令などで敷かれた道しか通ってこなかったから、とも言えます。

これは、至って当たり前なこと、必然でしょう。

『選ぶこと』『決めること』

つまりは、

『自己選択』『自己決定』

をしなかったことの結果です。

公立学校は、どうしても『管理的』な部分が大きいため、これらの体験の積み重ねが難しく、指示に従って行動する体験が多くなってしまいます。

実際、今勤めている学校でもやはりそういった教員の関わりや言葉かけが多いように感じています。

ある意味、深く考えずとりあえず従って動けば、基本的に大きな間違いはありません。

そのため、失敗するといったようなストレスは少なく、振れ幅が少ない日々を送ることができるでしょう。

しかし、その分その先への影響は大きいです。

その影響は、高校や大学での進学あたりで弊害として姿を現します。

自分で選択できず決定まで至らない場合、大体は親や先生が提示したものから決定します。

その先に待っているのは、

「自分の強みって何だろう。」

「どんな仕事を選べばいいのかわからない。」

「何のために、ここ(学校や仕事)を選んだんだろう」

など、人生の岐路に立ったときに立ち止まり、進むことができなくなる、という未来です。

私としては、自分の人生を全力で歩むことが難しくなるという捉えです。

二次的な問題とは?

選んだり決めたりするのが苦手な子どもたちに生じる、二次的な問題とは一体何でしょう。

それがこちらです。

『物事を自分ごととして考えるのが難しくなる』

です。

簡単に言ってしまうと、何事も

他人任せや他人のせいにしてしまう

ということです。

工藤先生の言葉を借りるのであれば

『当事者意識』の低さです。

これは、本当に多いと感じています。

誰が悪いとかそういった問題ではありません。

学校自体がそうならざるを得ない環境で、かつ現在勤めている教員がまさにそういった環境で育ってきた人たち。

ある意味、なるべくしてなっています。

だからこそ、教員一人ひとりがこの現実を受け止め、無意識を意識化するところまでもっていく必要があります。

そして、意識的に環境を変えるなり、考え方を変えるなりしていかない限りは、この状況は変わらないと考えます。

何事も他人任せや他人のせいにしてしまう子どもたちを前に、何を伝え、何を改善していけば良いのか考える日々です。

公立学校という環境でできることは限られます。

皆さんは一体何をしますか?

まとめ

私の考え

自分の人生を自分の足で全力で歩むために、

『自己選択・自己決定』の体験を積み重ね、

『当事者意識』を爆上げしていこう!

次期学習指導要領等に向けた審議のまとめが、10月5日に公開されました。

まだ読んでいませんが今日取り上げた言葉が載っていたり、関係した内容が書かれたりしていると思います。

それらを実現するには、

現場の教員が同じ目的をもって

仕事する必要があります。

この『同じ目的をもって』がとても難しい。

それぞれが積み上げてきた経験があり、それに頼る教員が多い中でどう擦り合わせていくのか。

そこが一番の課題かもしれません。

意外とそこをクリアできれば、すんなりといくかも?

皆さんの考えの足しになりますように。

コメント

タイトルとURLをコピーしました